【ベルナデッタの生涯】


聖ベルナデッタは、フランスのルルドを世界的なカトリックの巡礼地にした人物で、ヌヴェール愛徳修道会のシスターでもありました。


どんな人物だったのか、その生涯をご紹介しましょう。


 

ベルナデッタは、1844年1月7日、フランス南部、ピレネー山脈のふもとのルルドという小さな村で、スビルー一家の4人兄弟の長女として生まれます。

 

子ども時代の暮らしは貧困そのもの。製粉業を営む父親が商売に失敗、一家は家を追われ、借り家住まいを余儀なくされました。

 

その日その日をしのぐような暮らしの中で、長女だったベルナデッタは、生活の負担を軽くするために親戚や乳母の家に預けられることもしばしばでした。子守や羊の番をしなければならなかったため、学校にも満足に行けず、読み書きも十分に出来ませんでした。

 

その後、父親が貧しさゆえに窃盗の容疑で捕まり、状況は悪化の一途をたどり、ついに一家は、“カショー”と呼ばれる牢獄跡で暮らすことになりました。悪臭がたち込めるじめじめとした暗い家は、ぜんそくの持病があるベルナデッタには劣悪な環境でした。鉄くずや薪を拾って生計の足しにするという、社会の最底辺の暮らし・・・その中でも、信仰にあつかったスビルー一家は、家の中の十字架の前でロザリオの祈りをしていました。

 

858年2月11日。

ベルナデッタの運命を大きく変える出来事が起きます。

4歳だったベルナデッタは、妹と友だちの3人で、薪を拾うためマッサビエルの洞窟近くに出かけました。風が吹くような音が聞こえた後、振り返ると、洞窟の岩のくぼみに「白い服の婦人」が立っていました。

 

そのときのことを、ベルナデッタはこう表現しています。

 

「私はポケットに手を入れるとロザリオにふれました。

十字架のしるしをしようと思ったのですが、

手を額のところまで上げることができず、自然に降りてしまうのです。

私はとても心をうたれていて、手が震えていました。

私の前に見えるお方は十字架のしるしをしました。

すると今度は私にもそれができるのです。

十字架のしるしをすることに成功した後では、今まで心にあった恐れのような気持ちはなくなっていました。

私はひざまづいて、この美しい女の人の前でロザリオを唱え始めました。」

 

 

この「美しい女の人」の正体は、聖母マリア。

最初は誰かわからなかったものの、後でそうであることを告げられたのです。

 

聖母は、18回にわたってベルナデッタに会いにこられ、数々のメッセージを伝えられました。

 

「これから15日間、ここに来ていただけませんか。」

 

「司祭のところに行って、人々が行列をつくってここを訪れ、

ここに聖堂を建てるように告げなさい」

 

あるとき、ベルナデッタは、聖母マリアに言われるままに洞窟の奥の方に行きました。泥を手でかき起こすと、そこに泉を見つけたのです。

この泉の水を飲んだ目の見えない人が目が見えるようになったことから「奇跡の泉」と呼ばれるようになり、癒しを求めて多くの人がこの地を訪れるようになりました。 

 

 注目を集めるようになったベルナデッタは、好奇の目から逃れるように、その後、ルルドにあったヌヴェール愛徳修道会の養育院に入ります。寄宿生として8年間過ごす中で目にしたのは、病気の人や貧しい高齢者、収入のない家庭の少女たちと関わって生きるシスターたちの姿でした。

 

1866年、22歳のとき、ベルナデッタはシスターになる決意をし、故郷を離れます。ヌヴェールにある本部の修道院に入り、看護助手や香部屋係を務めましたが、持病のぜんそくが悪化。すぐに仕事も出来ない状態となってしまいます。

希望を持ってやってきたのに、果たしたい役目が果たせなかった、何もできない役に立たない自分・・・そんな悔しい思いにかられることもあったでしょう。



ベルナデッタの人生の後半は、病の苦しみと共にあったともいえます。

ぜんそく、カリエス、ひざの化膿で、ベッドから起き上がれないことも多く、血を吐くほどの苦しみに教われました。

 

苦しみの中で、ベルナデッタを支えていたのは、聖母マリアのもとに生まれたイエス・キリストの存在でした。イエスは、最後、弟子に裏切られ、孤独の中で十字架にかかりにいきました。イエスの苦しみとは、すべての人々の罪を背負ったイエスの愛そのものでした。ベルナデッタはその苦しみと愛に心を寄せていったのです。

 

 ベルナデッタは、自分の弱さを知っていました。御出現について、聖母がわたしをお選びになったのは、わたしがもっとも貧しく、もっとも無知な者だったからです」とも言っています。そんなベルナデッタが出来たことは、唯一、祈ることでした。


「私の仕事は祈ることと苦しむこと」であり、その望みは「十字架のキリストの苦しみに一致すること」でした。

 

その思いは、こんな言葉から伝わってきます。

      

 

「イエスよ、あなたは棄てられた人、それゆえに、また棄てられた者のよりどころとなってくださいます」

 

「私の武器は、最後の息を引き取るまで守らねばならない“祈り”と“犠牲”です。この世を去った後は、“犠牲”の武器は手から落ちて、

“祈り”の武器だけが私と一緒に天国へ行って、力のあるものとなりましょう」


 

1879年4月16日、ベルナデッタは35歳の若さで天に召されます。その死からおよそ50年後の1933年12月8日、「無原罪の聖マリアの祝日」に聖人の位に上げられました。

 

ベルナデッタは、聖人の中でも、特別な神秘家でもなく、情熱的な自伝を残したわけでもなく、修道会の創立者でもありませんでした。貧しく、謙虚さの中に生きた人間でした。

      

 

んな人間の中に、神は働かれ、導いてくださる・・・

ベルナデッタの聖性の輝きは、貧しさの中にあって輝く神の栄光と愛の象徴なのかもしれません。

 

その遺体が腐らなかったことから“奇跡“と呼ばれ、その体は今も修道院の聖堂に安置されています。